もう何人を手に掛けたかも憶えていない。

 十七の歳まで王都の中で、平穏と言える日々を送った。王都を出てまだ一月と経たないのに、顔色も変えず他人を次々屠れるようになったのは、騎士としては当然のことだが。
「ナイトに近づくな! 一撃でやられるぞ!」
 仲間達とランザック軍に怒鳴って、ラヴィリオンは駆け出した。 目指すは一人、黄金の髪の将軍のみ。


「だから自分が出る、か……けっこうな心構えだ」

 立ちふさがろうとするバーンシュタイン兵達を斬り捨てて駆けてくる黒髪の姿を認め、金の瞳に苦い笑みが浮かぶ。
 戦場で直に相まみえれば、それがどちらかの生の終わり。彼と会えるのもこれが最後だ。
(そして、その息の根を止めるのは私だな……)
 ジュリアンは愛用の剣を携え、敵国の騎士を目指して走った。


「何故お前達がここにいる!?」

 温泉の街で、驚愕する自分を嬉しそうに見つめていた。
「休みなんだ♪」
 戦争も自分の立場も気にしていないような笑顔が、あの峡谷の再会から痛む胸を抱えて眠れぬ夜を過ごした自分とは大違いで、わざと邪険にしてみせたのに。
 追ってきた。あの色違いの不思議な瞳が、包み込むように自分を見ていた。
 国への忠誠と使命感で懸命に鎧った心が、あの瞳に逢ってしまうと跡形もなくとろかされそうで怖かった。
 きまりの悪い、くすぐったい、自分が自分でなくなるような……そんな感覚は、
出会ってすぐの頃からあった。それを何と呼ぶのかは……知りたくもないし認めたくないが。
(敵同士にさえならなかったら)
 そんな繰り言、自分でも飽きたのに。


 あの時は、彼が追ってきたことが正直、嬉しかった。

 けれど、今は違う。戦いにはほぼ決着がついて、部下達は時間稼ぎをしているだけなのに、彼はジュリアン一人を追ってきたのだ。
 当然だ。それがローランディア騎士の責務。戦いに勝ったとはいえ、ナイトを見逃すはずがない。殺すか、捕虜にするか……どちらにせよ、唯唯としてされるがままになるつもりは無い。
 ジュリアンは、両手で剣を構え直した。利き腕を深く傷つけられたため、思うように剣を振るうのは不可能だ。大量の出血のため、視界がかすむ。殆ど味方の援護を受けられなかったジュリアンと違い、仲間達に回復してもらっていたラヴィリオンに彼女が勝てる見込みはほぼ無いと言っていい、が……
「そんなこと、コイツが望むと思ってるの!?」
 甲高い羽虫の声が響くより早く、ラヴィリオンは自分の剣を地面に置いた。
(な!?)
 ひるむジュリアンを目の前にして、今度は呪文を唱え始めた。ジュリアンは修得していないがよく耳にする、回復の呪文。
(私を回復させてから、改めて勝負をつけようというのか?)
 確かに正々堂々と勝負するとは言ったが、それはやりすぎだ。
(これは試合ではない。戦争なのだぞ……)
 リーヴスすらも退けたラヴィリオンの存在は、この戦争の行方を変える。祖国バーンシュタインのため、彼によって死に追いやられた数多の部下達のため、将来彼に殺されるであろう自分を含めたバーンシュタイン人すべてのため、ジュリアンは彼を殺さなければならない。
 そう……分かっている。分かっているのに。
「ヒーリング」
 癒しの光がジュリアンを包む。当のラヴィリオンによって傷つけられた体を優しく柔らかく。
 ラヴィリオンは、剣を構えたまま動けないジュリアンに歩み寄り、その頬にそっと手を触れた。
「ごめん、痛かっただろ」
 その時、ジュリアンの心の鎧が音を立てて砕けた。
(駄目だ)
 ジュリアンはこみ上げる涙をこらえた。
(駄目だ、もう戦えない。ラヴィリオンの命を奪うなど、私には……)
 たとえ王命に反しても。祖国を危機にさらしても。敵国の騎士に恋していると認めざるを得なくなった、その瞬間。
 これは罪。誰が知らずとも、この自分がその罪深さを知っている。
 兵らを指揮する将官の身で、母国を滅ぼす黒髪の敵に心を明け渡した売国の咎。 


「こんな時代に生まれなければ、私は女として生きていけたのに」

 その言葉に、ラヴィリオンは耳を疑った。
 剣を持つ意義について悩んでいた。弱者に代わって戦うことに生きる目標を見出していた。だから自分は、彼女が二度自分の前を去っていっても引き留めなかったのに。
(だったら、俺と……)
 一緒に来ないか、と。女の子に戻って共に暮らさないか、と。
 言えたら、どんなに良かったろう。
 苦労して勝ち取ったナイトの地位と、家族や王のいる祖国。たかが一騎士に過ぎない男が用意してやれるささやかな幸福と、引き替えになど出来るはずがない。
(今の俺じゃ、とても手が届かない……)
 先ほどの戦いも、勝負を分けたのはラヴィリオンの仲間達の魔法だ。闘技大会のエキシビジョンで戦った時とは比べものにならないくらい腕を上げたとはいえ、ラヴィリオンの剣術はジュリアンのそれに及ぶべくもない。自分より弱い男など、彼女が相手にしてくれるとは思えない。
(力が欲しい。剣だけじゃなくて、この戦争を早く終わらせられるような)
 自分はどんどん強欲になる。王都に留まっていた頃は、自分と家族の幸せ以外に欲すべきものは無かったのに。


 平手打ちされたラヴィリオンの頬が、見る間に腫れ上がる。

「私情ですって? そんなもののためにナイトを見逃したと言うのですか!?」
 ティピとサンドラは見えない絆でつながっている。あの時、サンドラはティピの様子を見る余裕が無かったようだが、王都に帰って報告した後、何食わぬ顔の義母に研究所まで呼び出されたと思ったら、これだ。ティピの記憶を遡って読んだか。
「はい」
 悪びれもしない養子を見上げて、サンドラは柳眉をひくつかせた。
「自分の立場をわきまえなさい! 此度のことは、バーンシュタインへの寝返りと見なされても仕方ありません。お前は勿論、お前が連れていったすべての者達が間者の疑いをかけられるのですよ!」
 この戦時中、疑われれば、もう有罪も同じ扱いだ。相手の納得する答えを言うまで責め続けられる、それが拷問というもの。
「分かっています」
 虚ろな瞳で言う養子を、サンドラは信じたくない思いで見つめた。
「お前は……!」
 じんじんと痛む右手でもう一度殴ろうとして、サンドラは自らの生み出した生命体に制止された。
「やめて下さい、マスター! アタシがあの時、二人が戦うのを止めたから……」
「止められなくても同じだったよ」 ポーカーフェイスに淡々とした口調が旅に出る前の彼を思い出させて、サンドラは手を下ろした。
「他の者には気づかれていませんね?」
「う、うん! アタシ達、ルイセちゃんやみんなにも『逃げられた』って言ったもんね。ね、アンタ」
 ラヴィリオンが黙って頷く。サンドラは、溜息をついて二人を解放した。
「ならば、此度のことは無かったものとしましょう。二人とも、他言無用ですよ。ラヴィリオン」
 養子の色違いの瞳を見据えて、サンドラは言った。
「二度目があると思ってはなりませんよ」
 ラヴィリオンは黙って一礼し、研究所から退出した。
「ねえねえ、やっぱり捕まえた方が良かったのかな〜。アタシ、間者なんて考えてもみなかったわよ」
 ティピは半分泣き声だ。ラヴィリオンは肩をすくめた。
「捕まえたら、ジュリアンが拷問を受けるだけだよ。他のナイト達は健在だから、身柄を交換条件に交渉することも無いだろう。情報を引き出すだけ引き出して終わりだな」
 拷問の末に獄死させるくらいなら、さらって自分のものにする方がずっといい。
「ねえ。アンタ、ジュリアンと他のみんなと、どっちが大事なの……?」
 ぽつりと問うたティピが、慌てて撤回した。
「なーんてね! 早くみんなの所に行きましょ!」
 ティピは分かって怯えるのだろう。
 ラヴィリオンの心がローランディアには無いことを。
 これは罪。
 祖国も家族も仲間達も、たった一人の敵将よりも大切ではないなどと。


 遠い空の下、別々の胸に同じ罪を秘め、それぞれの道を歩いている。

 その先に何があるのかは、杳として知れなかった。




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